失効した「成功体験」のあとで——“いまの私”を認められるように

こんばんは
ほくろうです。

私はいま端的に自己肯定感・自尊心・自信といったものを失っている。

・それは私がうつ病患者だから?
・薬の副作用で30kgも増量したから?
・1日中布団から出られず、薬も飲めない日があるから?
・昼夜逆転が治らず、夜を生きているから?
・将来先行きが見えず極めて不安定だから?
・じわじわと減り続ける貯金残高を眺めているから?
・人を好きになったことすらないから?
・社会との関わりがないから?
 etc…

上記のように、さまざま要因はあると思う。

現状では自分自身の内側から湧き上がる揺るぎない肯定感、自分の土台となるものを見つけることが難しい。
ならば仮初めでも暫定的な自信を付けていくため、資格取得で自信をつけていこうというお話をしていく。

いま誇れるものが何もない、自分なんて・・・と、いま現在を深刻に悩んでいる人たちへ向けて
一歩でも着実に自信をつけていく方法を開示する。


この記事が少しでも参考になれば幸いです。

この記事を書いた人プロフィール(編集中)


相対位置が分からなくなった社会人時代


大人になると、定期的に自分を測ってくれる仕組みが消える。
学生のころは中間・期末テスト、大学では単位やGPAと、節目ごとに数字が出て、良くも悪くも他人と自分の相対位置が明確だった。

しかし社会人になってからは様相が異なった。
もちろん営業成績で測られる会社もあるだろうが、少なくとも私が勤めていた会社は良くも悪くも無縁の世界だった。
与えられた仕事を淡々とこなす日々で努力量と評価が直結しない。
上司との相性や部署の風向きに成績が左右され、測定の機会はゆっくり減っていく。

しだいに挑戦の反射神経が鈍っていき、いつの間にか「牙が抜けた感覚」だけが残った。


農耕型ビジネスの“空白”と不安の入り口


一方で、副業やブログなど個人で行うビジネスはPV数や報酬がダイレクトに返ってくる。
だが、多くは農耕型ビジネスであり時間がかかる。
種をまき、芽を待ち、季節を越える。成果が届くまでの空白に、不安は入り込みやすい。
ここに、いまの私の葛藤がある。

  • すぐに確かめたい自己効力感

  • すぐには返ってこない収益

  • 不安定な社内評価に再び飲み込まれたくない気持ち


自己と向き合う中での不安


自分史の振り返りやブレインダンプをして過去の成功を思い出しても、大概は賞味期限が切れている。
たしかに一度は届いた場所だ。
でも日付を見直すと、どれも何年、数十年も前のもの。
あの時の手触りは薄れ、当時の私と今の私は地続きでありながら、自分のものとは思えない。
もはや「戻る」場所ではなく「参照する」場所になってしまったのだと思う。

「過去の栄光にすがるな」と自身を言い聞かせるほど、逆説的に過去は眩しくなる。

それに加えて、私が抱えているうつ病やそれに連なる数々の失敗の折り重なりは、自己像を少しずつ蝕んでいく。
自信は、曇りガラスから茫洋と漏れる光のように弱々しく見え隠れし心もとない。
向こうに光があるのはわかるのに、輪郭が読めない。

うつ病を抱えていく不安

うつ病という大きな転機によって私自身の生き方や考え方が大きく変化した。
罹患の前と後では、記憶だけ共有している別人と捉えてもよいだろう。
過去の実績を参照したところで体力気力の衰えから、今の自分へと応用を利かせることが難しい事柄も多数ある。

自己肯定感・自尊心・自信の本質的な回復は、
自分の内側から灯りを整えることーーどんな状況にも関わらず今の自分を否定しない内在的な自己肯定感を育てることーーが最善だと知っている。

けれど、うつ病の症状の1つ。慢性的な極度に疲れやすさ(易疲労性)により、

・作業椅子に座るだけでも息が切れる
・集中して画面を見るような前傾姿勢になれない
・環境が許すならすぐに横たわりたくなる

このような日々が続く。

現状を打開しなければと気持ちだけ急いては空回りしている状態である。
内側からの自己肯定感を育むには非常に困難な環境にあり、心の回復や寛解には時間がかかる。

それならば当面は外から自己肯定感を上げることのできるカンフル剤を併用してもいいのではないか。

私にとって、その装置が資格だ。理由は単純で、合否が明確だから。

「資格」を自己肯定感のお手軽なカンフル剤に


資格は、社会で共有するハッキリとした指標だ。
合否という単純な線引きは冷たくもあるけれど、「いまの行動が、誰にでも伝わるかたちで評価される」という利点がある。
結果が数字で返ってくることは、時に残酷だ。
けれど、その明確さは、「存在の曖昧さ」に飲まれやすいうつ病患者には救いでもある。

合格は“価値のそのものの証明”ではない。
ただ、努力を誰にでも見える形で一定程度の努力が認められるという機能は持っている。
すなわち、比較的短期間で自分自身が「動いた事実」を形にしてくれる。

ブログという農耕型ビジネスの成果を待つ間、自己効力感の空白を埋めるカンフル剤としての役割を果たしてくれる。
ビジネスの観点からは本質から外れ、遠回りだとは重々承知している。

ただ外部的な自信の回復装置として使ってみる価値は十分にあると確信する。

小さな報告  


今日、手始めに簿記3級の勉強を始めた。
まだまだ道のりは遠いけれど、ひとまずは仮のマイルストーンを打ち立てた形だ。
久しぶりに机に向かい、教科書のページを開く。勉強するのは久しぶりの感覚だ。
ただ知識を得るため、ひたむきにやればよい。教科書1冊、始めと終わりが見える安心感。
今は結果ではなく「始めた」という事実だけが重要だ。

それだけだが、自分を褒めてあげよう。
もちろん、日々の体調により出来ない日もあろう。でもひたむきに、一歩一歩。

依存しないための一定のルール


もちろん資格勉強をしている間にも迷いはある。

「資格」という外部評価に寄りかかりすぎれば、また折れやすくなる。
数を集めるだけでは、ビジネス実践との乖離により空洞が広がる。
だから、自身が資格に溺れないため一定のルールを先に敷いておく。

資格を取得量よりビジネスとの親和性

資格をなんでもは取らない。
いまの暮らしやブログ実践に関係のあるものだけを選ぶ。
資格を“集める”こと自体が目的化して、中身のない実績を積み上げてないように。

合格は通過点、肝心なのは生活習慣の改善

主役は日々の行動様式の回復。
乱れやすいうつ病の生活習慣を整えるペースメーカー。
資格は節目として淡々と通過する心持ちで。

外部の成功体験から内部の自己肯定感へ

合格という外の喜びを、内側の自己効力感へと移す。
「何ができたか/何を直すか」を言葉に戻し、日常の手順に編み込む。

これで、資格は補助輪になる。ずっと付けるつもりはない。
ただ、もう一度自信を取り戻すその日まで、ペダルを踏むフォームを取り戻すまで、横で支えてもらう。

いまの自分を肯定する


「過去の私」と「今の私」は、同じ川の流れにいながら、別の岸に立っているように思える。
あの頃の成功はいったん横に置こう。
過去の自分に一定程度の感謝を告げて距離を保とう。

そして現在の自分に視線を戻す。
私はうつ病とともに生きる最中、「途中で投げ出さなかった自分」 「もう一度再起できた自分」となるように、誇っていきたい。
結果としての合格を後ほどゆっくりと噛みしめていけばよい。

私がここに残したいもの

ここで最も主張したいのは、うつ病闘病中における自己回復の手触りだ。
資格試験が「うまくいった/いかなかった」より先に、現在の自分に「戻ってこられた」と小さく言えた瞬間を重視したい。
そうした細部の積み重ねが、ゆっくりと内側の肯定感を養生していくだろう。

(予告:今後合否や取得した資格の一覧や学習時間、使った教材、効率化のコツなどは、別記事にまとめる予定)

まとめ

外で測る(資格を取り、生活改善) → 内に訳す(自信の回復) → 不安がよぎった時、また少し外で測る。


この往復を、しばらくのあいだ続けてみるつもりだ。
農耕型ビジネスの畑は耕し続ける。
収穫を待つあいだ、資格という短いサイクルで「動いた実績」を記録に留める。

過去の成功は、いまの私を直接温めてはくれない。
けれど、今日の一歩は確かに体温を持っている。
私はその体温だけを頼りに、一歩ずつ前へ進む。

合格した暁には今後報告をしていきたい。
ただ合格も1つの通過点として淡々と掲げるつもりだ。


資格は本質ではないが、再起動のスイッチにはなる。
外的な動機で仮初めでも成功体験を積み上げ、じっくりと自分の内部、自己肯定感を醸造していく。
また不安になった時には、外の物差しで測り、内側の言葉へ返す――

それらの往復運動のなかで、ゆるぎない自己肯定感をつけていこう。

チャレンジはまだ始まったばかりだ。

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