会話停止型フレーズが子どもの初期OSに組み込まれる危うさ

「うっせぇわ」「それってあなたの感想ですよね」は、

言葉としては短い。短いがゆえに強い。短いがゆえに、繰り返される。繰り返されるがゆえに、文脈から独立しやすい。

ここで起きるのは、批判の成熟ではなく、批判の手続きの省略である。

大人がこれらを使う場面では、少なくとも「相手の言い分が雑だ」「こちらに負荷がかかっている」など、端的に相手に問題があると客観視できるだろう。

しかし子どもにとっては、主客未分化であり先に「効果」が学習される。

つまり、これを言うと場が終わる/優位に立てる/笑いが取れるという結果が先に入る。

言葉は意味ではなく、作用として内面化される。

これらのフレーズが“万能句”になりやすい理由

会話停止型フレーズは、手間のかかる工程を一気に飛ばす。

  • 相手の主張を要約しない
  • 争点を特定しない
  • 根拠を問う前に結論を出す

その代わりに、相手の発話を「不適格」だとラベリングしてしまう。

「うっせぇわ」は感情の遮断、「それってあなたの感想ですよね」は認識の遮断だ。

どちらも、対話を続けるための工夫ではなく、対話を終えるための工夫として機能する。

これが言葉として一見便利にみえるのは、対話は本来コストが高いからだ。
相手の顔色を読み、誤解をほどき、妥協点を探し、感情を整える。子どもにとってこの工程はなおさら難しい。

だから、強いショートカットが出回ると、学習コストの低い方へ引っ張られる。

対話技能が「合意形成」から「切断」へ置換される

子どもの会話の目的は、しばしば「正しさ」ではなく「関係維持」だ。友だちと遊ぶ、先生に叱られない、仲間に入る。
ここで会話停止型フレーズが万能化すると、対話はこう置き換わる。

  • 合意形成=一緒にやっていくための調整
  • 切断技能=自分が傷つかないための遮断、あるいは優位確保

もちろん遮断そのものが常に悪いわけではない。いじめや暴言から身を守るためには、拒絶の言葉が必要なこともある。
しかし問題は、遮断が「防具」ではなく「標準装備」になってしまうことだ。

標準装備になると、対話の練習そのものが省略される。

たとえば、本来はこういう手続きが育つはずだった。

  • 「それ、どういう意味?」(確認)
  • 「私はこう思う」+「理由はこれ」(主張と根拠)
  • 「ここは譲れる/譲れない」(境界線)
  • 「じゃあこうしない?」(代案)

だが万能句は、この手続きを「面倒」と感じさせる。

結局、対話は“勝ち負け”のゲームに寄っていく。

勝ち負けに寄るほど、言葉は短く、強く、断ち切る方向へ研磨される。

なぜ今、この問題が増幅されるのか(流通環境)

社会現象として街中に無造作にその言葉が流れるということは、

当然、子供はその言葉をベースに学習する。

  • 反復される短いフレーズはミーム化しやすい
  • 使うとウケる/再生数が伸びる/仲間内で通じる
  • 批評(「それは乱暴だよね」)は場を白けさせるので出にくい

結果、言葉は「意味の精度」ではなく「効果の強さ」で評価されやすくなる。

子どもはこの評価軸を、そのままコミュニケーションの評価軸として取り込みうる。

言語は社会的な武器として、早熟化する。

「初期OS」にそれらの言葉がインストールされるとは

初期OSとは、価値観というより「反射」に近い。
考えてから選ぶのではなく、困った時に勝手に起動する万能句だ。

会話停止型フレーズが初期OSに組み込まれる危うさは、ここにある。

  • 不快/不安/劣勢を感じた瞬間に
  • “分解して話す”より先に
  • “断ち切る言葉”が起動する

これが習慣化すると、本人は「論破している」「賢い」と感じやすいが、実際には合意形成の筋力が育ちにくい。

長期的には、人間関係は細り、交渉の場面で困る。

社会に出れば、折衝や調整から逃げられないからだ。

ではどうすればいいか

「断ち切り」を悪として断罪するのではなく、よりよい手順の言葉を周囲が提示できるかが鍵になる。

子どもに必要なのは、禁止ではなく置き換えだ。万能句の代わりに、短くて使える“手順語”を渡す。

  • 「いまの言い方、きつい」(境界線)
  • 「それ、どこがそう思った?」(根拠の促し)
  • 「私はこうしてほしい」+「理由はこれ」(主張の形式)
  • 「じゃあ次どうする?」(前進)

これらも短いが、対話を閉じずに前へ進める短さだ。切断の技術に対して、合意形成の技術をミーム化する。

言語環境に対抗するなら、同じく言語でやるしかない。

詳細は下記ページに解説がある。

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結語:万能句は「知性」ではなく「コスト削減」である

「うっせぇわ」や「それってあなたの感想ですよね」は、子どもにとって“賢い言葉”に見える。

だが多くの場合、それは知性ではなく、対話コストの削減である。

削減は必要だ。ただ、削減だけが標準になると、対話の筋力が育たない。

だから危ういのは、言葉そのものというより、言葉が反射的に出てしまうような環境だ。

——強い声、反復、称賛の集積、批評の不在——が、子どもの日常にまで降りてきている兆候を指している。

詳細は下記ページで解説がある。

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