完璧に考えてから書こう。完璧に書いてから出そう。
そうやって、長いあいだ動けなくなることがあった。
頭の中には材料がある。断片が散らばっている。言いたいこともある。
それなのに、どこから触ればいいか分からない。あるいは、触るのが怖い。
「このまま出したら雑に見えるのではないか」
「言い間違えたら恥ずかしいのではないか」
その不安が先に立って、文章が止まる。
最近、その止まり方が少し変わった。きっかけはChatGPTだった。
6割で出してよい、という順番を受け入れられた

ChatGPTに相談するとき、私は最初から整った文章を出していない。
むしろメモの切れ端のようなものを、そのまま投げる。
- こういうことを書きたい
- でも言い方が硬い
- たぶん論理が飛んでいる
- そもそも何を言いたいのか自分でも曖昧
本来なら、未完成のまま人に出すのは気が引ける。
ところがChatGPTは、その未完成を前提に作業してくれる。
断片を拾い、順序を整え、骨格を作り、文章へ落とす。
誤字脱字や言い回しの粗さも、こちらの意図に沿うように包括的に修正して返してくる。
この体験が、私の中の順番を変えた。
最初から完成を目指すのではなく、まず6割で出す。出したものを整える。
この順序を受け入れられるようになったことが、停滞を解く鍵だった。
6割主義の核心は「思考の深度」に時間を戻せること
6割主義の利点は、単に「書くハードルが下がる」ことではない。
むしろ、思考の深度に時間を再配分できることにある。
文章には、分かりやすく伝えるための技法がある。構成、言い換え、例示、接続、語尾の統一。
AIが存在しなかった頃、これらは執筆者が相当量の時間を払って習得し、実作業として担う領域だった。
文章術の価値が高かったのは当然だ。
しかし現在は、一定の範囲で、AIがその「整える工程」を高速に肩代わりできる。
その結果、私は執筆のエネルギーを、アウトプットの整形ではなく、
中身の検討(議論・壁打ち・反証・論点整理)へ寄せられるようになった。ここが大きい。
極端な言い方をすれば、執筆は「考える」より「出力する」「成形する」作業に寄る側面がある。
小説家の中には、構想は短時間で固め、執筆そのものに長い時間を割く人もいるようだ。
そこでは、完成に向けた書く工程が支配的になる。
小説家は個人の文体がある以上、おそらく今後もAIが代替することは難しいだろう。
一方、私たちブロガーは最低限、文章術が必要と思うが、小説家ではない。
読める文章を提出することが目的だ。
AIはこの部分、つまり「読者に伝わる形へ整える」工程を瞬時に提示できる。
だから私は、余った時間を思考の深掘りに回せるようになった。
6割主義は、手抜きの免罪符ではない。
内容の密度を上げるための時間確保の技術だと、今は捉えている。
「編集者が一人ついた」ような手触り
気持ちよさの核は、編集的な視点が入ることにある。
「この主張は根拠が薄いかもしれない」
「ここは前提が飛んでいる」
「この例だと反論されやすい」
自分ひとりで考えていると、穴があることに気づいていても、見ないふりをする。
あるいは、直し方が分からず放置する。
ChatGPTは、その穴を言語化して提示する。だから直せる。直せると、文章が前へ進む。
この回転が積み重なることで、「6割でも進める」という実感が生まれた。
ただし、AIは「止める」より「つなぐ」方向に寄りやすい
一方で、ChatGPTを含むAI全体は基本的に、執筆者の意図を汲み取り、文章として成立させる方向に最適化されている。
これは下書き段階では強力だ。しかし同時に、理論が危ういときほど怖い。
破綻しかけている論理を、滑らかな接続で“それらしく”つないでしまうことがある。
文章が自然だと、それだけで正しそうに見える。結果として、前提の穴や根拠の薄さが隠れる場合がある。
だから私は、ChatGPTを最初から査読者として扱わない。
基本は共同編集者として使う。整える工程を担ってもらう。
便利さは、危うさとセットである(デメリット)
ここまで書いておいて言うのも変だが、良いことばかりではない。
少なくとも次の三点は意識しておく必要がある。
「それっぽい誤り」が混ざる
文章が整うほど、誤りも整って見える。数字・制度・固有名詞は特に危険で、確認なしに引用できない。
いわゆるハルシネーションという現象だ。
私のブログは文献引用をよくおこなうが、すでに読んだものでないと気軽に相談はできない。
文体が平均化する
読みやすさの代償として、語り口が無難になりやすい。
私は常に具体的な体験を記事内に足すようにしている。それで地に足の着いた私の文章になる。
判断まで委託すると、思考が痩せる
整形や整理は任せられる。しかし「私は何を言いたいのか」まで任せると、平均化された空虚さが残る。
だから、出発点はあくまでも自分。手綱をもって操作の主導権はこちらにある状態でないといけない。
私は、結論だけは先に自分で1文にする。そこだけは譲らない。
仕上げの儀式:一言で“疑う工程”を入れる
全文が完成したのち、最後に一度、Chat GPTに全文をペーストし「あなたは厳しい査読者で壊すつもりで見て」と頼む。
私はこれを、仕上げ工程で使っている。
ここからは査読者として、私の主張を成立させるのではなく「弱点・反例・前提の穴」を優先して指摘してください。直すならどこをどう直すべきか、修正案もください。
この一段階を挟むだけで、「つながってしまった論理」を見抜きやすくなる。
整える工程と、疑う工程を分離する。これが、実務上いちばん効く運用だった。
ここでは、さっきまで寄り添ってくれていたChat GPTが今度は手厳しく論理の穴をついてくれる。
便利なもので、論理の穴や理論飛躍に関しての対処法を見つけてきてくれる。
スクラップ&ビルドという形で文章を建て替える。
繰り返していき、ChatGPTに投げかける。
骨子が強くなり、表に出せるとChat GPTにお墨付きをもらったのちに投稿に回すというスタイルだ。
まとめ:6割で出せる人は、強い
ChatGPTが変えてくれたのは、文章力というより順番だった。
最初から完成を狙わない。まず出す。整える。疑う。直す。出す。
この手順が回り始めると、停滞は“技術”としてほぐせる。
そして私にとって最大の収穫は、執筆の時間を奪っていた「整形」を短縮し、
その分を考えること――議論を深めること、壁打ちすること、論点を詰めることへ回せるようになった点にある。
6割主義は、手抜きではなく、密度のための配分だ。

