こんばんは
ほくろう と申します。
涙ぼくろがチャームポイントのフクロウです。
でも、フクロウって森の賢者と呼ばれるじゃないですか。
自分で名乗るのは、おこがましいなと思い、すこし音の間抜けな音をつかった
「ほ」くろうと名付けました。
フクロウは「ホーホー」とも啼きますしね笑
まさに、ほくろうの独り言・・・
この度は、数あるサイトの中から当ブログ「ほくろうの独り言」にアクセスいただきありがとうございます。
このページでは当ブログのコンセプトと私のプロフィールを紹介します。
当ブログ「ほくろうの独り言」のコンセプト
当ブログ「ほくろうの独り言」のコンセプトは『病いとともに生きていき、自立していく』です。
運営者ほくろうの体験談に基づいて、
うつ病を受容し、ともに生きていく技法、治療の体験談などを発信していきます。
また、やむなく無職?個人事業主?となってしまった私をリアルタイムで実況し
オンラインビジネスという手法で「自宅で」「PC1台で」生き抜く姿をご覧いただければと思います。
波乱万丈なストレス社会を乗りこなし「生きる方法」を一緒に考えていければ幸いです。
やっていきましょう。
なぜこのブログを始めたのか
うつ病2度目の再発が大きなキッカケとなりました。
1度目なら、多め見積もってまあ仕方ない。そんなこともあるさ、と見過ごしていたでしょう。
でも2度目ともなると話が変わってきます。
これはもう人生の根幹を揺れ動かす出来事です。
今後何十年と続く人生、立ちゆかなくなりますからね。
これを機に、本気で自分の生き方のすべてを見直す形で記録を残そうと思いました。
メンタル疾患は基本的に一度かかると「治りません」
症状の落ち着いた「寛解」という状態にまでしか戻らないのが悲しいながら残酷な現実です。
すでにメンタル疾患で苦しんでいる人へ向けてはもちろん
情報発信を通じて、罹患者を未然に1人でも減らせれば嬉しいです。
運営者「ほくろう」の経歴
| 1991年10月 | 東京都に長男として誕生 |
| 1998年~2004年 | 小学校時代(過度に期待を背負った仮面優等生時代) |
| 2004年~2007年 | 中学時代(凪の時代) |
| 2007年~2010年 | 高校時代(凪の時代、民俗学に出会う) |
| 2010年~2014年 | 東京理科大学工学部建築学科 |
| 2014年~2018年 | 筑波大学大学院人文社会科学研究科歴史人類学専攻(民俗学・人類学コース) うつ病発症、中退 |
| 2018年~2022年 | 某上下水道施工管理会社に就職 |
| 2022年~2024年 | 某市の市史編さん事業(民俗学)に転職 2024年からうつ病の再発 |
| 2025年4月~ |
会社を退職し、現在療養中 ブログ開設/場所・時間・人間関係に囚われないオンラインビジネスに挑戦 |
これ以降は、私の現在までに至るストーリーを語っていきます。
過度な期待を背負った小学校時代
優等生の仮面を被った小学生
何を言えば大人が喜んでくれるか?をとても意識する小学生でした。
思えばこの頃から「他人軸」で生きていたのかもしれません。
先生にも同級生にも誰からも慕われてる子を演じていたように思います。
ホントの自分とギャップを感じつつ、仮面を被りながら小学校の生徒会長を務めました。
本当は人前で挨拶すること、発表することは
不安や緊張で耐えられないのに・・・
概ね成功するのですが、小学6年生、生徒会長として運動会の〆の挨拶を任されたとき、セリフが飛んでしまったことがあります。
全校生徒よ、僕を見ないでくださいませ
視線が痛い。
この空白の時間が永遠に感じる・・・
1言、2言、つっかえつつ、どもりつつ、当初予定していた原稿の三分の一程度をなんとかひねり出しスピーチを終えました。
恥ずかしさから足早にステージを去ったこと、今でも鮮明に思い出します。
被っている仮面にも亀裂が生じてきます・・・
自分ひとりの時間がないと耐えられない気質でした。
放課後に友達と遊ぶことや、土日祝日に会うなど滅多にしない子で、
学校の中では明るいのに、なぜかそれ以外の付き合いは悪い不思議な子といわれることもあったかも。
スピーチでの挫折や仮面の亀裂に気付かないフリをしながら騙しだまし生きています。
勉強を好きになったが・・・
通わせてもらった塾はとても楽しかった。
世の中には知らないことが沢山あり、知るってとても面白いことだなと。親に感謝しています。
人生の初期段階で勉強を肯定的にとらえることができるのは良かったです。
一方、意気揚々と中学受験をするも、まだ幼かったからでしょうか?
自分の成績を客観的に把握できていないのか、はたまたスピーチの挫折のように過度な緊張に苛まれたのか・・・
なんと志望校にすべて落ち、行くと露ほども思ってない滑り止め学校に入学します。
ここが人生での第一の大きな挫折ポイントでした。
中学~高校は凪の時代

なにもない、「凪」
小学校の頃とは異なり、積極的に「いい子」を演じることはやめました。
もともとそんな偏差値も高くない中高一貫の男子校、学年1位を取ることは容易でした。
でも、嬉しくない。
趣味もない、男子校なので色恋もない、青春時代に熱中することがなにもない。
とにかく学生生活は「凪」そのもの。
テレビでは兎角、青春の1ページを重要視するようです。
(我々は長い人生を生きるのに、青春時代がピークとする物語が多すぎるのは弊害だなどという議論はさておき・・・)
青春ドラマ・アニメなどをみて、フィクション・ノンフィクションに関わらず彼らは熱い青春があった。
自分にはそれがないのだ、そしてもう二度と取り返せないものなのだと、チクリと心が痛みますね。
唯一、趣味が出来たといえば高校の頃に京極夏彦という妖怪をテーマにした小説を読んだことでしょうか。
それらをキッカケに柳田国男『遠野物語』など民俗学の世界に興味を持ちました。
「お化け・幽霊・妖怪」など茫洋とした世界観に魅入られた気がします。
しかし理系に進んでいたため、折衷案として文化と親和性のある建築学科を目指します。
受験の失敗と不都合な真実に目をそらす自分
さて、中学~高校時代は緊張することを一切避けて過ごしてきました。
するとどうなるでしょう。より一層、緊張・不安の耐性が弱くなってしまったのです。
緊張することが避けて通れない、「大学受験」で再びやらかしてしまいました。
他に何もしてきていないからこそ、勉強だけはそこそこ努力したのに。
ほんっと~に、本番に弱いんですよね。
またしても、不本意な受験結果となってしまいます。
ある程度、客観視ができるようになったのか、
どの大学には受かった、落ちたという肌感覚は残念ながら全て的中でした。
人生第ニの挫折がここですね。
ストレス耐性など弱みをわずかに感じつつ、直接目を向けないで生きていきます。
評価軸が変わった大学時代(建築)
いままでのやり方が通用しない・・・
期待をしないまま大学生活が始まります。
しかし自分にとって大きなパラダイムシフトが起こりました。
建築は3部門に分かれています。
意匠(デザイン)× 構造 × 環境
建築学科を目指して入ってくる人の多くが意匠(デザイン)を志しているようです。
そういった人たちは高校生の頃から絵を勉強していたり、一眼レフカメラを片手にアーティスティックな写真をバンバン撮りためている人が多くいました。
圧倒的に遅れを取っているんですよね。
初めて学ぶ「構造」「環境」などの分野については、高校時代の延長線上でやり繰りできるのですが・・・
「意匠(デザイン)」は端からやり方が分からない。
講義でも教授が詩的な表現を繰り広げるだけ、日本語の意味は通じても、脳みそが理解を拒む。
あぁ・・・自分で何かクリエイトする発想など今まで持ち合わせていなかった。
建築家になる夢はもっていないものの、評価されないと傷つくし、劣等感も立派に持ち合わせてはいるんだなと感じました。
建築史の研究室で職人の研究を―激動のひと夏を過ごす
伝統工芸品をつくっている職人さんを研究テーマにしました。
職人さんにインタビューし、仕事場空間を実測します。
人の動線や姿勢、仕事道具の配置から、一つの工芸品をいかに効率的に回しているのか
図面から浮かび上がらせるという手法を取りました。
7~9月にかけて、さまざまな職種、計23人の職人さんにインタビューしました。
下調べや実測、調査データをまとめる作業、大学に1週間泊まり込みで週1日家に帰ればよいという完全セルフブラック企業でしたね笑
調査を進めていくうちに、図面から以外にも目を向けることになります。
いかに師弟間で技の継承が行われているのか?
もっとインタビューではなく、職人さんの生活に密着取材をして知りたくなりました。
ここで、建築という物理的なものを扱う学問が少し邪魔になります。
高校の頃から気持ちの傾いていた民俗学でやっていきたい。
この期に及んで文転するのか!とセルフツッコミを入れたくなりますが
卒業論文と並行して10月に院試に備えます。
思い返しても、無茶なスケジュールでやり繰りしていますね。
背水の陣での大学院時代(民俗)、最大の挫折「うつ病」
人生初!念願の第一志望合格。
旧東京教育大学、民俗学界のトップスター有賀喜左衛門・宮田登・和歌森太郎etc…らが教鞭をとった場所。
今もなお多くの有力研究者を輩出する民俗学の総本山、筑波大学へ入学できました。
純粋な喜びとともに、入学式前夜、不可解にもパニック発作に見舞われます。
嬉しいんだよ。純粋な気持ちで。
でも、ほんとに自分にできるのだろうか・・・
この頃すでに気圧されておりやっていけるのか?という不安の萌芽がありました。
学術分野ってこんな世界なんだ
大学まで一定以上の読書量を自負していました。
しかし大学院のゼミを受けて衝撃を受けます。
学術の世界でやっていくには、文献を読む。ただそこに批判精神がなければ何も生み出さない。
出版される本はすべて是として捉えていた自分にとって衝撃でした。
先輩や同級生のゼミでの質疑応答では
「この論文ではこれが議論されているけど、この間に空白があり検討の余地があるんじゃないか。」
「この議論、成形はされているけど、そもそもの前提を精査するとこの結論に持ち込むにはむりがあるんじゃないか」
ああ、本を読むではなく、それを題材に議論している!
ぜんぜん気付かなかったけど、逐一納得。いかに自分の理解が浅いのか思い知らされました。
OB・OGの偉大な先輩方に感謝
筑波大学は学園都市で基本みんな徒歩圏内に住んでいます。
終電の概念がないことから「つくば時間」と言われるような風習があります。
夜24時から誰々宅で飲み会参加!といった無茶な連絡が絶えないのです笑
その頃、研究室にOB・OGの先輩(いまでは、超有名大学の教授・准教授となっている方々)も多く立ち寄り、
皆で一緒に酒盛りです。
トークテーマは、自身の研究について。民俗学・人類学の研究動向について。
酒が入っている分、議論は粗くとも斬新な切り口の指摘などが数多く交わされました。
建築からの文転で、圧倒的に基礎情報が足りてない自分へ向けて、みんなが民俗学はこうだ!と叩き込んでくれた幸せな時間でした。
Xday、うつ病。あれ?起き上がることが出来ない
知識が少ないなら、行動量でカバーしなければ。
と研究会や行政調査(外部の手伝い)学会の仕事など、ありとあらゆる活動に顔を出し参加していました。
そして夜はつくば時間の飲み会。
次第にキャパシティーをオーバーしていきます。
ひとつ1つの仕事のクオリティは下がり、目の前には山積みとなった課題や提出物。
基本調査は自費なので貯金残高も目減りしていきます・・・
ある時から、寝れなくなり。昼夜逆転。少し風邪っぽくなったり。反応が鈍かったり。
いま思えば前兆は明らかに出ていたのですね。
そしてXdayの到来です。
あれ、身体がまったく動かない
天井をただ見上げるだけで、動けない。
昨日までは疲れてただけなのに、1夜にして地球の重力が何倍にも膨れ上がった?
急に訪れるものです。そして昨日とは全くの別人格となるものなのです。
その日からゼミは無断欠勤、友達や先輩からの電話も恐怖の対象となってしまいます。
当時は、トイレに行くことすらできず、オムツで生活をしていました。
比較的体調のよい日にスーパーへ出かけ、こんな若い時期にまさか介護用品を買うことに。
うつ病の日々
数週間の音信不通から復帰し、何とかゼミだけは出ねばと身体だけは急いています。
しかしうつは日内変動という「朝が最も症状が重く、夕方から夜にかけて活動量が上がる」という性質があります。
対策として、夜中のうちに院生室へ行き、ソファーで寝る。翌朝ゼミの時に誰かしら起こしてくれるだろうと奇妙な行動に出ました。
ゼミ前に起こしてくれる人がいても、到底メンタル面で参加できる状態ではなかった。
参加することだけが目標となり、とても文献を読めるような状態でもなかった。
無駄な空回り努力がずっと続く状態でした。
一度、指導教官からいまの状態では到底できるものも出来ない。実家へ帰りなさい。と言われ素直に従いました。
しかし、筑波から東京の実家までがなんとも遠い。
大学からつくば駅へ向かう際も数kmの道があり、疲労感でとてもたどり着けない。
身体が重い。たまらず街路樹に横たわる不審者となっていました。
(学園都市で公園のようにもなっているので道幅は広く、よくも悪くも無関心)
通常ドアtoドアで3時間程度の道のりが、1日がかりでした。
人生で最も長い旅路と記憶に残っています。
通常、うつ病は3~6か月で急性期を抜けるといわれますが、体験談としては全くそんなことはありません。
いわゆる排泄すらまともに処理できないなどは6か月の間に治りましたが、日常は依然、色褪せたまま。
動作もゾンビのように緩慢なことには変わりありません。
うつ病を持ちながらの就職活動
療養を続けていきますが、頭が冴えることなどないまま1年が過ぎ、2年が過ぎ・・・
休学などを使い修士課程で4年を費やすのですが、体調の回復には至らず。
それほどまでにうつ病という病気は根が深い。
4年次に並行して就活をしています。自尊心が地に落ちた自分で就活アピールができるのか?
いえ、難しいです。
なら、試験を通じて就職することのできる公務員を目指した方がよいだろう。
今の自分は抽象概念を扱うことが出来ない。即物的な数字を扱う方がまだできると感じて建築職で下記を受験します(ここでも軸がぶれていますね・・・)。
・国家公務員(総合職、院卒採用)
・国家公務員(総合職 大卒採用)
・国家公務員(一般職)
・東京都庁
・特別区23区
・埼玉県
建築時代の知識を掘り起こし、対策していきます。
結果、どれも最終面接までは通るのですが「面接」・・・
ああ、このゾンビのような緩慢な受け答えでは通るのも通りませんね。
全て「人」対「人」のリアルタイムな受け答えの場所で黙りこくってしまう。
うつ病による二次障害で吃音や場面緘黙症というものが出てしまうのです。
さらに血迷い、神奈川県の土木採用も急ピッチでインストールし、ここも最終面接まではこぎ着ける。
やはり、同じ結果に。
修士論文もかけず、3月末には中途退学をしてしまうのに、
1月中旬までどこの職にもつけない。
履歴書の空白を作らないため、なんの希望もなしに流されるがまま一般企業の就活を1月から始めます。
なんとか、拾う神があるのですね。上下水道の施工会社に内定します。
採用担当者も2月に面接し、4月入社する。
「ここまでギリギリな内定者は初めてだよ」
と苦笑いされた記憶があります。
間に合わせで入社した上下水道会社
半官半民で、行政が顧客の施工管理会社です。
上下水道の施工管理、要は汚水を処理する施設で働くということです。
終末処理場の槽内ではゴキブリがひしめき合い、悪臭を放つ過酷な現場です。
現場を管理する側だったので、肉体労働は控えめではありましたが現場調査などではやはり来るものがある。
ただ、早朝に出かけ、毎日ラジオ体操をし、場内を駆け回るというスタイルで体力は徐々に回復。
実直に作業をしていればお金がもらえる環境というのも、恵まれてはいるのですよね。
論文を書くという産みの苦しみから離れて、数年がたち
精神科医からは症状が起こらなくなったよ「寛解」だよとお墨付きをいただきました。
再起をはかる市史編さん事業(民俗)へ転職、そして「うつ病」の再発
上下水道の会社で4年ほど働いてると、筑波大学時代の同期から連絡が入ります。
自分は学芸員の正規職が決まった!
いまオレが勤めてる「市史編さん事業」任期付きだけどの民俗ポストが空くよ!
自分も上下水道会社の正規職員を投げうって非正規雇用か・・・さまざま葛藤がある。
「寛解」のお墨付きももらったし、再度挑戦してみるか、と転職をしていきます。
市役所の会計年度任用職員という職に就くことになります。
みなさんは「市史編さん」って聞いたことあるでしょうか?
図書館の郷土史コーナーなどに置かれる『○○市史』って分厚い本があるのですが、、、それを作る事業です。
かつて筑波大学でお世話になった先生主導のもと仕事をし始めます。
民俗学、地元の人々とお話をすることなどは楽しくもあり、緊張もあるお仕事です。
順調に足を運ばせていたものの、納期のいうものがあります。
特に民俗学の取り扱う分野は多種多様です。
「地区の成り立ち生活空間」「社会」「生業」「「衣食住」「人生儀礼」「年中行事」「信仰」「芸能娯楽」etc…
圧倒的な物量に囲まれ刊行直前になると不眠が立ち現れてきます。
低空飛行を続けながら職務を執り行うも、単純なミスが再び目立ってくるようになりました。
今回は徐々に身体を蝕んでいくという症状の表れ方です。
はい。再度の通院。診断名は「うつ病」
刊行を終えたのち、すぐさま休職しました。
会計年度職員なので、年度末までに治らないと更新不可のようです。
そのまま再起することが出来ず退職となりました。
そして現在
2度目のうつ病です。病気療養をしながら人生を見直しています。
かつて経験しているので、再発時の深刻度は低くかつてのオムツ生活のような事態にはなりませんでした。
ただ、うつ病を抱えながら刊行の仕事を成し遂げたのはいま考えると無理をしていたな。
仕方ないとはいえ症状を長引かせる原因となったなと思います。
2度目のうつ病、退職などを経て、いよいよ自分の将来像が見えなくなってきます。
自分はなにをストレスに感じ何なら耐えられるのか、この休養期間中に反芻しています。
根本的な生き方改善が必要であると、いまを試行錯誤して生きているという状態です。
症状が安定しないため、場所・時間・人間関係にとらわれないオンラインビジネスに希望を見出しました。
いまは、このブログを一番の軸に据え置きつつ、udemyで「コンテンツビジネス」「動画編集」「プログラミング」を勉強しています。
将来の夢
いま現在、オンラインビジネスを始めたばかりで貯金を切り崩しながら生活しています。
今まで無駄遣いをしてこなかった自分に感謝・・・
短期的:即金性のあるクライアントワークでの自立
中期的:このブログやその他の情報発信を通じて、ひとり自立できる生活を確保
長期的:コンテンツビジネスを自動化により自動収入という環境を構築
これらを目標にFIRE(Financial Independence & RE start)※Retire Earlyではない
を目指していきます。
その他、うつ病の直接的な原因としては「論文が書けない」だったのですが、
環境要因としても、
・学術分野での就職は狭き門であること
・就職したとて薄給であること
・通常業務があり、余暇時間に自分の研究という、決して研究に専念できる環境ではないこと
などなど、先輩方の苦労する姿をみて、
いま思えば、本当に学術分野に就職したいのかと疑問を持ちながら足元が揺らいでいた気がします。
2度のうつ病発症の直接原因である民俗学・人類学は愛憎こもごも
自分の核となる学問で切っても切り離せない関係性だと感じています。
FIという確固たる土台を築いた後は、REstartとして追い詰め過ぎないペースで民俗学・人類学の論文を書く。
最終的には博論を提出することが自分の人生の目標です。
このブログで伝えたいこと
私の経歴をストーリー形式でお伝えしました。
各年代、節々におや?危なっかしいぞという片鱗があることが伝わりましたかね。
この小さな悩みの芽が成長する前に、早いうちから自分自身を見直し軌道修正していく。
悩みの芽を摘み取るのは難しいかもしれません。芽があることを理解する。そして大きくさせないことを意識していただきたいです。
私のようにこの芽が大きく根付き、巣食う前にいろいろ予兆や心の中に起こるわずかな機微に敏感になってほしいのです。
そのための、ライフハック、メンタルハックなどを中心に、自立していく姿を見届けていただければ嬉しいです。
最後に
非常に長いプロフィール、ここまで読み進めていただき感謝の念でいっぱいです。
本来ならひとりひとりに握手をしてまわりたいぐらいです。
ご覧の通り、挫折ばかりの人生ですが、再々々度のリベンジマッチ。
ただこの試合は退場さえしなければ勝ちの試合なのです。
何度だって立ち向かう。ボロボロ泣きつつ立ち上がる姿をこの記事で見てくださればうれしいです。
心が押し倒されないよう、自身を俯瞰してペースを保ちつつ、「生きる方法」を模索していきます。
